写真家"彼方"の白い小箱

何故「写真機」ばかり触っているのに「写真家」なの? まず、私は写真機屋ではない。今のところこれを商売としていくつもりは無い。
 そもそも写真屋さんでもない。撮ってと言われれば、無難くらいには撮影するけれど、プロと言える程ではない。兄弟子はプロとして仕事をしているが、そこまでのことは出来ない。(※後述する写真に関わる業務には携わっているが)

 とはいえ現像も出来るし、モノクロであれば一応紙焼きは出来る。実際には直したカメラやメンテナンスしたカメラで、ふとした時に写真を撮る……言うなれば、「趣味写真家」レベル。これだけ触っておいて自分を誇張なく表現する言葉って何かなと思っていたら、やっぱり「写真家」だった。機材も撮影もそこそこ触る写真家。ぎりぎり背伸びしない程度の自称。
 
撮影者 ハンドルネーム:時深彼方(ときみかなた)
性別:おっさん
(絶賛「うつ病」こじらせ中)
※使用規約とか見たい人はこちらへ。

 一応自営業者、地域紙デスク&撮影班、某協会地域事務局……と、何やら色々やっている変な人。
 専門はコンピュータで、ソフトウエア。ハードウエアはパソコンの組み立てが出来る程度で、マイコンの回路すらまともに作れない完全なソフトウエア脳。一口にソフトウエアといっても、専攻はセキュリティ。片手で31まで数えられるタイプの人間。一応簡単なソフトウエア開発くらいまでは出来る。

 カメラ経歴は、使い捨て→フィルム装填式(ただ撮影するだけ)→OLYMPUS OM-2N(中学から高校)→デジタル普及によりFujifilm FinePix F700→Fujifilm FinePix F50fd→Canon EOS55(135フィルム)→Canon EOS 60D(デジイチ)→MAMIYA C330 Professional(120フィルム) となっている。
 私が小学生から中学生の頃合までは、デジタルカメラは無かった。厳密に言えばあったが、まだ実用的なレベルではなく、高かった。

 高校生になり、部活動を何にするか、と聞かれて、父が所持していたOM-2Nを借りる形で写真部になった。ここで登場人物が1名いる。それがコバ氏だ。氏はその後、写真専門学校を卒業し、しばらく連絡という連絡も無かったが、ここ最近(2015年)、趣味が同じということで再び付き合うようになった。「写真部」再結成である(どちらかといえば写真倶楽部であるが)

 私は病気のため、その高校を中退することになる。その後に成人してから別の高校に通っていたが、そこでも写真部として動くことになる。ここまで来るとデジタルカメラが台頭し始め、OM-2Nの不調もあってしばらくデジタルカメラを運用することになる。

高校卒業後、しばらくフィルムカメラや写真からは一旦退いていた。 
Konica2
※写真撮影:Kan先生
目覚める写真  病気のことや父のあれこれがあった後、今の家業を立ち上げてしばらくして。家業は手探りから始めたため、デジタルカメラを持って記録をつけまくった。そこで再びカメラ魂に火がついた。それがこの左の写真だった。Fujifilm F50fdで、設定を変えながら何枚か撮影したうちの一枚がツボに入ったのだ。適正露出のはずだが、おそらく露出端数が高い値だったのだろう。少々前ピン気味だが、コンデジにしては珍しい、目が覚めるような写真が撮れた。

 気付いたら、再びカメラの虜になっていた。

 家のあちこちに転がっていたクラシックカメラ(あるいはレトロカメラ)を部屋にかき集め、さてこいつをどうやって直して使ってやろうかと考え、そこでKan先生のウェブサイトに辿り着いた。「大きいほうが直しやすいかも」、そして学生の頃には触れなかった120(ブローニー)に触りたい。そんな気持ちでMAMIYA C330 Professionalの分解清掃を開始し、行き詰った。(ちなみにこの上の写真は、C330修理時にKan先生が一緒に連れて行き、見事に機能回復したKonicaUである)
 2015年 年末。特に下心は無かった。
 Twitterで先生をフォローして、ウェブサイトを見ながら自分で修理や清掃できる場所を整備していく。C330のファインダーやミラーを清掃したり、革のメンテナンスをして、さてレンズ……と思ったら、Cプロ系の修理履歴が見つからない。
 焦った自分は右の写真をtweetしてしまったのだ。Kan先生から、助言が得られれば、と。(ストロボの笠もここまでしか開いてないのはご愛嬌。後に自分で修理調整して完全に開くようになった)

 結果。Kan先生が修理に来てくれた! 狂気乱舞どころではない程の驚きだった。しかし思ったよりも状態が悪く長期入院。同時入院したKonicaUのほうが先に戻ってきた。入れ替わりでOLYMPUS 35DC(祖父の遺品)が入院。
MAMIYA C330 Professional
惨い状態のCanon EFレンズ  ちなみに、2015年の夏、クラシックカメラを触る前に、Canon EOS55とめぐり会った。……というか、自宅の客間(という名の半倉庫)の畳の上にカメラがあったのだ。EOS 55が。コンディションは正直絶望的レベル。本体はベタつくし埃まみれだし、それどころかボディ内、ファインダースクリーンまで埃まみれ、付属していたレンズも埃とカビまみれ。

 自分の中の何かが爆発した。
 気付いたら弟からEOS55を貰い(奪い)、レンズのオーバーホールを始めていた。電子制御部の故障は無いと踏んで、これでもか、これでもか、と分解し、組みなおし、埃入った、と分解して組みなおした。(おそらく10回は組みなおした)
 カメラ本体も可能な限り徹底的に清掃し、時々拗ねるけど一応正しく動くレベルにまで持っていった。
 湿度たっぷりな上に足元に転がされていたので、あちこちに不具合。最終的にレンズに僅かなクモリが出て、そこだけはどうしても直しきれなかったものの、とりあえず動くようになったのが右の写真。

 直ったときの感動は、久々にビリッときました。

 で、まぁ。色々考えた結果、Kan先生に敬意を表する意味でも、自分の技術をもう一度磨きなおす意味でも、これから写真の世界に入る人のためにも、ウェブサイト立ち上げ直しをしてみよう、と思った次第です。

 ちなみに私の撮影枚数は、2002年から2015年末までに、およそ7200枚です。
Canon EOS 55
父と師匠   2021年、4月17日。
 Kan師匠との永訣の時を迎えた。享年74歳。

 あまりにも早い死であった。
 遺族のご意向と、その姿を追い続けるべく、師のウェブサイトを復元。詳細はリンク先をご覧頂ければと思うが、たくさんの方の手や支援を頂く。

 2022年現在、ジャンクカメラを譲り受けたり、買い求めて直したりしながら、少しでも師匠に近付こうと努力中(但しマイペースに)。

KonicaU Reflesh


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